プロフィール

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■プロフィール(中本隆雄)
1949年愛知県名古屋市生まれ。15年に渡る情報起業家としての経験を通じて身についたウェブ関連マーケティングスキルに、スピリチュアル系のノウハウも併用した経営コンサルティングをクライアントに提供する中本企画代表。

私はゴルフを始めた若い頃から今日に至るまで、熱心ではあってもごく普通のアマチュアゴルファーでした。そんなプロゴルファーでもない私が、インターネットを介し「ゴルフ上達商材」のコンテンツ販売を始めたのです。それは50代半ばというけっこうな年齢に達していた2004年のことでした。

35年に渡って研究を続けたスイング理論をノウハウ化してPDFファイルにまとめ、これを自作のホームページを通じて売り出したのです。所謂、情報起業家に一介のサラリーマンが転身を図ったわけです。


販売価格1万円台からスタートした商材でしたが、これがよく売れました。アフィリエイターさんのご協力もいただいた商材の販売本数はトータルで1200本を超えてしまい、金額ベースでは1800万円をオーバーしたのです。以来、ウェブ関連のマーケティングやコピーライティングのスキルを学び続けてきました。

私のスイングについては、以下のリンクからアクセスできるサイト(中本企画ゴルフホームページ)のトップ部分に動画を貼り付けています。よろしければ一度ご覧いただければと思います。私のスイングについては、以下のリンクからアクセスできるサイト(中本企画ゴルフホームページ)のトップ部分に動画を貼り付けています。よろしければ一度ご覧いただければと思います。

このサイトはゴルフ上達商材の販売用となっていますが、サイトを開いただけで購入となることは絶対にありませんのでご安心ください。動画をYouTubeへ公開したのは2013年、年齢は64歳のときでした。勿論、撮影したのも同じ時期です。

「ゴルフ上達!目指す弾道はプロレベル」 ⇒ https://nk-golf.com/


スイングスピードが速いほうなので年齢を偽っているの?と思われるかもしれませんが、それはありません。また、この原稿を書いている今現在69歳なのですが、実際に会っていただければ今でもかなり若く見えるものと思います。その最大の理由は、若さを維持するための様々なスキルをマスターしており、日々実践もしているからです。


スピリチュアル系のスキルも合わせて身につけています。たとえば、姓名判断術のキャリアは45年になりますので、鑑定術は20年以上前から既にプロのレベルであると自負しています。

情報起業家に転身は55歳
1949年愛知県名古屋市に生を得た私の人生は、50代の半ばまでずっと波乱含みでした。転職も随分重ねました。
2年通うはずだったホテル学校はたった半年で辞めてしまい、名古屋に舞戻ってきたのです。その後どうしても就きたいという仕事がないまま転職を重ねました。ただ今と違い当時は日本の経済が伸び盛りでした。ですから求人は多く、就職口を探すことには大して苦労しませんでした。
高校を卒業した後、私は京都にあったホテル学校に入学しました。外人客に英語を駆使して流暢に応対するカッコいいホテルマンになりたかったからです。しかし、自分が抱いていたホテルマンのイメージは何か違いました。それと、多少は自信を持っていた英語でしたが、ヒヤリングが未熟故全く通用しなかったことにも愕然としました。
もちろん、大企業に拾ってもらうなんてことは自分の学歴や能力からしてとても無理でしたが、中小企業であれば何とか雇ってもらえたのです。

タイヤの販売会社や医療機器輸入販売会社勤務を経て、結婚したばかりの頃は車のセールスマンをしていました。「飛び込み営業」が全盛のその頃は、1日100件を歩いて回るように指示されていました。でも、1日100件の飛び込みは相当ハードでした。
冬場の冷たい風をくぐり、チラシやカタログが詰まった重いカバンをさげて歩いていたある日のことです。とうとう足首が痛くなり歩けなくなってしまいました。どうすることもできず、タクシーを拾い営業所に戻るしかありませんでした。雰囲気のいい店舗に待機してお客様の来店を待つ今の時代からでは考えられませんね。

父親が亡くなり、当時手伝っていた家業の指圧院を閉めたとき、40歳を目前にしていた私には満足できる職場がもう見つからなくなっていました。しかし、何か仕事には就かなければ家族3人が食べていけず、トラックの運転手になりました。
4年間に走行数50万キロ近く走り回りました。最初は4トン車の長距離便でしたが、疲労と眠気で瞼が落ちそうになる毎日でしたね。
シャキッとするため運転中に平手で頬っぺたを何度も叩いて眠気を覚ますのですが、それでもダメなら腿の内側をつねります。最初のうち、これは驚くほど痛いです。でも、時間の経過とともにつねっても痛みは感じなくなってきて、気がつけばトラックはサービスエリアに入っており、自分はといえばハンドルに両足をかけて仮眠しているのです。
目が覚めたとき、シートの背もたれが倒れて自分が仰向けになっているので、事故でも起こしたのかと一瞬ドキッとします。何せサービスエリアに入った際は意識朦朧状態。なので、その時の記憶は完全に飛んでいるわけです。この状況にはいつまでたっても慣れるということはありませんでした。長距離の仕事はそれくらい眠かったですね。
転職を繰り返していましたので他にもまだ色々あります。

若い頃の憧れはツアーゴルファーでした。24歳頃からだったと記憶していますが、プロテスト受験を意識して会社勤めの傍ら練習に勤しむようになったのです。でも、ゴルフ研修生でもプロテストに失敗する人が多い中、会社員としての仕事の余暇にプロレベルまでスイング技術を高めるのはほとんど不可能でした。それで、30代となってツアーゴルファーとなることは断念しました。ヤケ酒をあおって、嫁さんと子供の前で醜態をさらしました。その時のことを思い出すたび、今でもかすかに目頭が熱くなります。
運送会社を辞めた後に海運会社に勤め55歳になって起業家として独立するまで、その子会社のガソリンスタンドに移りマネージャーとして働いたりもしました。
ここまで読まれたなら、あなたは凡そ私の人生が俯瞰できたのではないでしょうか。とにかく40代くらいまでは、『俺は運に恵まれてないなあ。名前の画数は申し分ないけど・・・・・・』なんてずっと思っていました。でも55歳になって、「ゴルフ上達商材」をインターネット経由で販売する情報起業家としてビジネスをスタートすることができたのです。

5万人から学んだスピリチュアルスキル
こんな具合に運が開かない日々を経験してきたためだと自分では思っているのですが、私には20代半ばに学び始めたある特技が備わっています。キャリアは、もう45年になります。私が45年の経験を持つ特技とは、『姓名判断術』です。
20代半ばで姓名判断に興味を持ち学び始めてから、鑑定を施した件数が今では優に5万人を超えています。但し、この5万人という人数は、全ての方に対面して鑑定した数というわけではありません。もちろん、直接対面したりメールを通じて依頼されたりした方も員数に入っていますが、全体からすれば微々たるものです。ほとんどは、新聞、雑誌、その他メディアに登場した人々、会社の同僚、親族や知人を対象として鑑定を施した件数です。
 
 
 

 

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